ちきりんは女性ですが、自分が当事者でないために気がつかないこともたくさんありそうです。たとえば男性にとって結婚はまだしも、子供を持つのはそれなりに“覚悟のいること”なんじゃないでしょうか。結婚して子供ができた時、たとえ共働きであっても「夫と子供を一生守っていかなくては!」と思う女性はあまりいないでしょう。一方で男性の多くが、初めての子供を抱く妻を見れば「自分が一生、養って、守っていくべき家族」だという思いを新たにするのではないでしょうか。
そう思えば、少々のつらさやつまらなさを理由に仕事を辞めたりできないし、体調を崩しても“頑張らねば”と思うのかもしれません。転職だって自分の好き嫌いだけでは選びにくくなりますよね。
ごくごく普通に幸せに暮らしている世の中のお父さんも、ちきりんの何倍ものプレッシャーを感じていらっしゃるのではないかと思うのですが、最初に書いたように、ちきりんにはその実感を共有するのはなかなかに難しいことです。
ごく日常的なことでも同じことを感じます。例えば誰か男性と食事に行く時、男性側がお店を予約する場合が圧倒的に多いです。男性側にも女性側にも、男性がアレンジするもんだ、という空気を感じます。
男性は事前に「何か食べたいものがありますか?」と聞いてくれ、決めてから「ここでいいですか?」とメールをくれて、行ってから「気に入りましたか?」と尋ねてくれます。「男の人って大変だなあ」と思います。その上でお店に文句をつけられたり、当然のように驕らされたりしたら、頭にくるのではないかしら。
家庭の中でもまだ「大きな決断はお父さんが」という雰囲気があるように感じます。日常的なことなら妻が一人で決めるけど、大きな買い物、判断は「あなた決めて」と言う。これって一見「頼っている」「大事なことは男性が主導権を持っている」とも言えるけど、反対に言えば「大きな責任はすべて男性が背負う」ということでもあります。
たとえば不動産を買う時の会話では、「私はこっちのマンションがいいと思うけど、あなたはどう思う?」「そうだね、こっちでいいんじゃないかな」「まじめに考えてよ。大事なことなんだから。あなたはどう思うの?」「このマンションでいいと思うよ。」「そう?(にっこり)じゃあ、そうしましょう」と。
意図的とは言いませんが、「実質的には女性が決めているのに、なにかあった時には男性に責任転嫁できるようになっている」とはいえないでしょうか。女性は、大きな判断に伴う深刻な責任からはいつでも逃げられるよう、無意識にコトを運ぶことが多いようにも思います。
欧米では、「男性がドアをあけてくれる」「レストランで良い席に女性を座らせる」などレディファーストが根付いているといわれます。確かに欧米に数年いて日本に帰ってくると、男性の気の付き方の鈍さに唖然とします。
けれど、欧米の男性はドアはあけてくれますが、大事なことでは女性を簡単に甘えさせたりはしないです。若い頃、欧米人のボーイフレンドとつまらないことで喧嘩して泣いた時、相手が「悪いけど、僕は泣いてる女性とは話さないことにしてるんだ」と言ってさっさと帰ってしまったのには驚きました。こういう態度を「泣いてる若い女性」にできる人というのは、日本では、自分の経験だけでなく友人の話としても聞いたことがありません。
しかもその衝撃で、ちきりんはすぐに泣きやみました。そして気がついたのです。「悲しくて涙がでてたわけじゃないんだな」と。もちろん意識して嘘泣きをしていたわけではありませんが、「泣けばなんとかなる」ということを経験的に潜在的に学んでしまっている若い女性はたくさんいると思います。
別の話ですが、友人の米国人男性は日本人女性と結婚した後、小さな子供もいるのに、「彼女は自分の生活費も稼ぐ気がないんだ」と愚痴を言っていました。女性の方はまさかそんなことを夫が考えるとは想像もしていなかったと思います。
”- ずるい私たち - Chikirinの日記