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私が若い者だった時代も、貧乏は若い人間にとっての既定値だった。この点は、現在と変わらない。
でも、われわれは未来を信じていた。だから、現状の貧困は問題にならなかった。
初期設定がゼロで貧乏が出発点だということは、未来が豊かであることの裏返しで、つまり、心配はご無用の前途は洋々なのだと、そういう筋道でわれわれはものごとを考えていた。
であるから、われらバブルの申し子たちは、より豊かな明日の到来をテンから確信し、それゆえ、貯金が無いことを気に病むこともせず、今月の収入のすべてをきれいに使い切って、あまつさえ図々しくローンまで組むことができた。錯覚であれ脳天気の結果であれ、とにかく20世紀の若者は、未来を信頼し、クルマを買い、海外旅行に出かけ、全集を予約し、借金の担保のために借金の証文を作っていた。で、その若いオレらの無思慮な消費行動が経済をドライブし、市場を回転させ、企業を潤わせていた。奇跡だ。社会の全員で回す壮大なねずみ車。
今の若い人たちに同じことをやれと言っても無理だ。
時代が違う。
彼らが暮らしているのは、借金がインフレで棒引きになる時代ではない。収入が右肩上がりで伸びていくことが前提になっている社会でもない。正社員がクビにならない保障もないし、それ以前に、上場企業は若い人々を正社員として雇用したがらなくなっている。とすれば、誰が未来を信頼できる?
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バーベキューという名の格差:日経ビジネスオンライン (via clione)
いえす、たかす、くりにっく。
(via swmemo)