“私の病気(?)は「イマジナリーフレンド」(または「イマジナリーコンパニオン」)というものです。
(ここでは「イマジナリーコンパニオン」に統一させていただきます;)
「イマジナリーコンパニオン」とは、所謂「想像上の仲間(友達)」というものです。
一見、病気ではないように見えるだろうし、実際「病気」とは全く違います。
よく、「解離性同一性障害」(←「多重人格障害」と間違えて認識されている。)と同じように見られてますが、別物です。
(かなり似ているのですが、「イマジナリーコンパニオン」と違い、こちらは記憶が飛んだり、話したり出来ないようです。)
アメリカなどの欧米諸国では、「小さい子ども」によく見られる「自我確立」のための症状(という表現では語弊がある気がするのですが)として、一般的なものなのだそうです。
(例えば、現実には存在しないアニメのキャラクターや、本来しゃべるはずのないぬいぐるみとお話をした、といったものがこれに当てはまるようです。)
(上記以外にも、自分で勝手に創り出した人物(これも勿論実在していません)と話していた、といったことも当てはまるようです。)
ただ、本来この「イマジナリーコンパニオン」というのは「自分という人格」が形成されたころ(凡そ6~7歳)には自然と消えるものらしいのです。つまり、一般的には「幼児特有の症状」とみられているのです。
しかし、その原因はまだ分かっていないようですが、いつまで経っても残っている人もいます。(私もその一人です。)
そして私の場合、かなり「イマジナリーコンパニオン」(これから略して「イマコン」とします;)が多く、20人以上はいます。
(普段話すのは5~6人ですが。)
最初に出てきたのは3歳ぐらいなのですが、その頃から異常で、皆でお遊戯している最中も心の中の自分(Aとします。)は「なんでこんな子供っぽいことしなきゃなんねーんだよ」と言っていたりしてました。
小学校に上がってからもずっと消える気配がなく、その内に「なんでこんなこともできねーんだよ。馬鹿じゃねぇの?」とAに言われるようにもなりました。
その後、自分でもよく覚えていないのですが、「人格転換」が起き、小さい頃の自分の主人格とAが入れ替わり、今ではA=私、小さい頃の自分が「イマコン」の一人となってしまいました。
中学に上がってからはストレスがものすごく溜まりやすくなり、それに比例するように「イマコン」の人数も増えました。
ただ、「イマコン」の皆と話している間は凄く楽しかったので、それなりにやっていけてました。
しかし、それぞれが意思を持っているため、議論や喧嘩などもその内増え、中には泣いたり、苦しみだす子もいました。
でも私は昔から他人が信じられない性質なので、このことは誰にも言っていなかったし、学校や日常で感じるストレスは自分と「イマコン」たちで解決するようにしてました。
その結果、現実の友達も若干増え、ガタつくことがあまりなくたんたんと過ごしていけましたが、逆に自分の意思を伝えられなくなり、そのため心の中ではいつも誰かが苦しむようになりました。
それは今でも変わらず、こうしている今でさえ、皆毎日の生活に疲れ、ぐったりしています。
私も日々、「イマコン」の皆が少しでも楽になるように、と色々考えるのですが、特に最近学校がきつくて自分を保つのにも精一杯です。
特に高校に上がってからできた、割と気があった友達に、このことを相談してみたのですが、帰ってきた返事は「まぁ、ネタとしてとらえとくわ」…。
この言葉の意味がその時は分からなかったのですが、後後になって「私はいつも普段の生活以外にも「イマコン」の皆の気持ちも考えなきゃいけなくて、凄く苦しいのに…」と怒りと悲しみが溢れました。
確かに、出会ったばかりの友達に相談した私も馬鹿でしたが、「ネタ」と思われたことには凄くショックを受けました。
自分は普段の学校生活で感じるストレスとともに、この症状が生み出す「新たなストレス」にも立ち向かわなければならない。
それを「ネタ」と扱われたのです。自分を否定された気がして、凄く傷つきました。
ネット上では「電波彼女」?(または彼氏??(よく分からないのです;すみません;)とか言って「ネタ」にしているのもある、と聞いた覚えがあるのですが、人によっては「助け」にもなりますが、追いつめられるなどの「苦しみ」にもなるとても大変なことなのです。
それを「ネタ」として扱うのは失礼なのでは?と思っています。”
- イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオン) | メンタル相談所 (via petapeta)
(ここでは「イマジナリーコンパニオン」に統一させていただきます;)
「イマジナリーコンパニオン」とは、所謂「想像上の仲間(友達)」というものです。
一見、病気ではないように見えるだろうし、実際「病気」とは全く違います。
よく、「解離性同一性障害」(←「多重人格障害」と間違えて認識されている。)と同じように見られてますが、別物です。
(かなり似ているのですが、「イマジナリーコンパニオン」と違い、こちらは記憶が飛んだり、話したり出来ないようです。)
アメリカなどの欧米諸国では、「小さい子ども」によく見られる「自我確立」のための症状(という表現では語弊がある気がするのですが)として、一般的なものなのだそうです。
(例えば、現実には存在しないアニメのキャラクターや、本来しゃべるはずのないぬいぐるみとお話をした、といったものがこれに当てはまるようです。)
(上記以外にも、自分で勝手に創り出した人物(これも勿論実在していません)と話していた、といったことも当てはまるようです。)
ただ、本来この「イマジナリーコンパニオン」というのは「自分という人格」が形成されたころ(凡そ6~7歳)には自然と消えるものらしいのです。つまり、一般的には「幼児特有の症状」とみられているのです。
しかし、その原因はまだ分かっていないようですが、いつまで経っても残っている人もいます。(私もその一人です。)
そして私の場合、かなり「イマジナリーコンパニオン」(これから略して「イマコン」とします;)が多く、20人以上はいます。
(普段話すのは5~6人ですが。)
最初に出てきたのは3歳ぐらいなのですが、その頃から異常で、皆でお遊戯している最中も心の中の自分(Aとします。)は「なんでこんな子供っぽいことしなきゃなんねーんだよ」と言っていたりしてました。
小学校に上がってからもずっと消える気配がなく、その内に「なんでこんなこともできねーんだよ。馬鹿じゃねぇの?」とAに言われるようにもなりました。
その後、自分でもよく覚えていないのですが、「人格転換」が起き、小さい頃の自分の主人格とAが入れ替わり、今ではA=私、小さい頃の自分が「イマコン」の一人となってしまいました。
中学に上がってからはストレスがものすごく溜まりやすくなり、それに比例するように「イマコン」の人数も増えました。
ただ、「イマコン」の皆と話している間は凄く楽しかったので、それなりにやっていけてました。
しかし、それぞれが意思を持っているため、議論や喧嘩などもその内増え、中には泣いたり、苦しみだす子もいました。
でも私は昔から他人が信じられない性質なので、このことは誰にも言っていなかったし、学校や日常で感じるストレスは自分と「イマコン」たちで解決するようにしてました。
その結果、現実の友達も若干増え、ガタつくことがあまりなくたんたんと過ごしていけましたが、逆に自分の意思を伝えられなくなり、そのため心の中ではいつも誰かが苦しむようになりました。
それは今でも変わらず、こうしている今でさえ、皆毎日の生活に疲れ、ぐったりしています。
私も日々、「イマコン」の皆が少しでも楽になるように、と色々考えるのですが、特に最近学校がきつくて自分を保つのにも精一杯です。
特に高校に上がってからできた、割と気があった友達に、このことを相談してみたのですが、帰ってきた返事は「まぁ、ネタとしてとらえとくわ」…。
この言葉の意味がその時は分からなかったのですが、後後になって「私はいつも普段の生活以外にも「イマコン」の皆の気持ちも考えなきゃいけなくて、凄く苦しいのに…」と怒りと悲しみが溢れました。
確かに、出会ったばかりの友達に相談した私も馬鹿でしたが、「ネタ」と思われたことには凄くショックを受けました。
自分は普段の学校生活で感じるストレスとともに、この症状が生み出す「新たなストレス」にも立ち向かわなければならない。
それを「ネタ」と扱われたのです。自分を否定された気がして、凄く傷つきました。
ネット上では「電波彼女」?(または彼氏??(よく分からないのです;すみません;)とか言って「ネタ」にしているのもある、と聞いた覚えがあるのですが、人によっては「助け」にもなりますが、追いつめられるなどの「苦しみ」にもなるとても大変なことなのです。
それを「ネタ」として扱うのは失礼なのでは?と思っています。”
- イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオン) | メンタル相談所 (via petapeta)